たびぶろぐ

日常の体験、日々考えたことを蓄積していきます。

No.11 私の1番好きな人

【私の1番好きな人】
 
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フランス時間で7月17日0時、私は23歳の誕生日を、泣きながら迎えました。
 
別にそんなつもりはなくてただ、"私の1番好きな人"と、とあるLINEをしていた時が、ちょうど日付を超える頃でした。
 
そのLINEの内容は今は少し伏せたいのだけれど、いつも通り私の唐突な、少し無茶なそんな内容に、その人が懸命に答えてくれていた頃でした。その温かさと優しさに申し訳なさと感動を覚えたのです。
 
その人は、
 
いつも私のためを思ってくれてて、
無茶なことに答えてくれて、
情けない姿も認めてくれて、
1番に私を思ってくれる。
今の私が、こうして存在するのも、全部この人のおかげです。
 
 
 
 
 
そう、私の両親です。
(まあ連絡を取っているのは母親)
 
 
 
これを機に両親への感謝を振り返りました。
 
 
 
昔から、やりたいことは大抵何でもやらせてくれた両親。
 
 
小さい頃、ピアノと書道に憧れて10年以上通わせてくれたこと。
 
ちゃんと勉強がしたいと言って、中学生の頃から塾に通わせてもらったこと。
 
高校1年の時、手術をするくらいの怪我をして、半年程ずっと車で通院してくれたこと。
 
高校2年の時、夜中塾帰りに怖い目に遭い、トラウマで夜1人で塾から帰れなくなった私を、半年間車で迎えに来てくれたこと。
 
高校3年の時、行きたかった大学に落ち、浪人したいと言った私に、「そうしたいならそうしたらいい」と言い、許し励ましてくれたこと。ちなみに両親は、阪大に行けなんて一切言いませんでした、ただ私の意志を尊重してくれた。
 
 
 
私は生まれた時、未成熟児だったらしい。そして0才の時、生死を彷徨う病気をしたらしい。その時救急車で運ばれた記憶なんて、0才の私にあるはずなんてないけれど、そこから10年以上通院した他、幸か不幸か左腕が思うように動かせないという後遺症は残っているので、事実としては忘れない。
 
 
小学校高学年、運動会の組体操の練習をしていた時のこと。動かせない私を、サボっていると見立てて全体の前で怒られたことがありました。
私はすごい悔しくて、なんでなんでって泣いた記憶があるけれど、母親はとても優しく、丁寧に、連絡帳にびっしりと事情説明を書いて、これを見せたらいい、と渡してくれたことは本当に忘れられない。
 
 
しつけに関してはとても厳しくて、昔は何かと制約もあった気もします。でも、今思うと、やりたいことは何でもやらせてもらえてた。基本自由だしやってることには干渉しないけど、いざとなれば全力で助けてくれる。
 
 
 
今、こうやって、ここにいるのも、全て両親のおかげ。
精神的にも、金銭的にも、私の意志を尊重して支えてくれる。そして、1番の見方でいてくれる。
今こうして、日本から何キロも離れた土地にたった独りでやってきたからこそ、その有り難みを余計に感じます。
 
 
 
この人に、喜んでもらえる人間になりたいな。そして、心の底から恩返ししたいと思えるくらいには、大人になりました。
 
 
まずは、帰国した時成長した姿を見せられるように、全ての苦難を絶対に乗り越える。
 
 
そして、23年間ここまで育ててくれて本当にありがとう。
これからもよろしくお願いします。
私の1番好きな人。
 
 
 
 
以上。